いぬごや

よくはたらくいぬです

オオカミに守られる冬の朝

歳を聞かれるのが苦手だ。もっと素直に言うと、わりと、嫌だ。男所帯の撮影現場で年齢を言ったが最後、名前さえ覚えてもらえなくなって、徹底的に下に見られ続けた悔しさがいまだに燻っているから。うんざりするほど言われてきた「若いのにしっかりしてるね」というひとことに、とても穿った受け取り方だという自覚はあるけど、年齢が前提になってしまって私自身を見られていないなぁと歯痒い思いをし続けている。
だから年上のひとに年齢を尋ねられると、それが仕事の場でもプライベートの酒席でも、少しでも足掻くためにかならず「今年で◯歳になります」と答えることにしている。秋の深まるころに生まれて、同級生のなかでも誕生日を迎えるのが遅いから…というのもその一因なのかも。

ずっとずっとずっと年齢を言うのが嫌で、自分の名前のそばに頼りなくのっかる数字が物足りなくて好きになれなかった。30前後のお姉さんたちがひどく眩しく見えて、早くそこに行きたくて仕方なくて。でもこの数字は365日に一度しか増えてくれない。どんなに仕事で認められても昇進しても、こればっかりは月日が経つのにまかせるしかなくて、落ち着きのない私はそれがずっともどかしかった。
だからこそいっそう仕事に打ち込んで、公私ともに色んなものごとを吸収するよう努めて、せっせと嵩増しに励んだ。とくに昔の映画や小説や音楽をきちんと知っていれば、少なくともそのハンデはなくせる。これに気づいてからはうんと人生が楽しくなった。細い縁で繋がって、本名も素性も知らないかわりに同じものを愛していることだけは火を見るよりあきらかな年上のひとたちと話していると、年齢を忘れられる。

そんな過ごし方を知る一方で、前の会社では疎んでいるはずの若さに頼りきって無茶苦茶に仕事をした。徹夜もできた。お姉さんたちが口を揃えて言う「26を超えると急に『来る』よ」なんて言葉にまったくピンと来ないほどいつだって身体は元気だったから、動けるままに仕事に没頭して、ひと世代上の映画や音楽の知識を使っては監督やカメラマンの懐に潜りこむことを特技にして、結果、わりと成果を出した。同期のエースとか。最速昇進とか。プロデューサーの愛弟子とか右腕とか。ちっちゃいバッヂみたいな成果を集めているうちに少しずつ年月と無理を重ねて、まぁ当然のことながら、ある時ぽきんとあっけなくダメになった。でも、楽になった。
そうして転職して、世界で何番目かにしょうもない「新卒◯年目」の呪いから解放されて。年齢なんか聞こうともせずきちんと尊重してもらえる環境と人脈をこつこつ作り上げて、27回目の秋を迎えた。

27歳。たぶん、もうあまり「若い」とは言われなくなる。それがとても嬉しい。うっかり中間管理職になってしまったものだからなおのこと、いつも信頼してくれている年上の部下たちのために箔が欲しかった。尊敬しているお姉さんたちと胸を張って肩を並べるための自信も。この歳なら誰に聞かれたってもう臆せずに答えられる。社会人としても一人の女性としても、自分をもう少し好きになれる気がする。

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家主がすこやかだと植物もすこやか

26歳の一年は、いくつかの出会いと別れを繰り返しながら、このところの情勢上ひどく非日常的に過ぎていった。人間関係に限った話ではなく、大人になればなるほどあらゆる喪失の傷が癒えづらくなる。「ずっと」なんてものは、奇跡みたいな確率のもとにしか存在しないことをようやく受け入れた。明日急に、なにかをふっと一生失ってしまうかもしれない。それはずっと愛用している身のまわりのものかもしれないし、かけがえのない存在や、行きつけの店、果たすつもりだった約束、なんだってあり得る。喪失や離別は思っているよりもうんと身近に潜んでいる。

でも、さんざん摩耗したからこそ平穏な暮らしを愛せる。はじめましての日からずっとマスク姿だった今年入社の新人と、食事中に素顔を見せあうとなんだか不思議な嬉しさを感じる。春に買った小さなオリーブの苗が驚くほど大きく育って、ベランダの手すりより高く伸びた枝葉をいつも風にゆったり揺らしている。誕生日にもらった花束を形づくる一輪ずつを、いつまでだって眺めていられる。穏やかな日常を愛していたい。そうやって力を蓄えて、仕事ではなんとか27歳のうちに昇進して、もっとどっしり構えられる器になりたい。年が明けたらきっと2021年の目標みたいなのを立てるんだろうけどそれはそれとして、27歳の目標は平穏であること。もういい大人なのだから、大事な人を傷つけず、私も傷つかず、あたためあえるような毎日を過ごしたいなと思う。


長らく続いた在宅勤務、そして生まれ季節の秋が終わるにあたって、ひとつ新しい習慣ができた。とろっとした黄金色のラム酒のような香水を身につけること。ひりりとスパイシーな香りを引き連れて寒い外に出て、一日働いてうちに帰るころには、甘くてスモーキーなシナモンやアンバーウッドがすっかり肌やセーターに馴染んでいる。
神出鬼没で希少な雌オオカミ、という香水のモチーフが恰好よくてたまらなく好きだ。この香りが似合う強い女性になりたいと思いながら毎朝首もとに吹きつける。どうしたってちょっとずつ蓄積してしまう疲れや不甲斐なさや寂しさから、そんなしょうもないものに負けない大人でいられるよう、優しいけものが守ってくれている。だからやっていけるよ。そんな冬のはじまり。

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ロックで舐めたらおいしそう(舐めない)