いぬごや

よくはたらくいぬです

春雷をのむ

暮れのファミレス

ミイさんとサイゼリヤに来ている。ファミレスや喫茶店にガジェットや紙や筆記具、文庫本を持ち込み、長居するにあたっての礼儀として過不足ない程度の追加注文をしつつ、二人それぞれ作業をしながら過ごす日が結構ある。就業時間以外に断固パソコンを触りたくない派なので、こういう外出時はiPad miniと薄いワイヤレスキーボードを持っていくけど、slackやドキュメントのアプリが入っているからその気になれば全然そのまま仕事できてしまう。泥臭い制作プロダクションにいたときはローカルデータや紙資料だらけでまったくそうはいかなかった。オンオフの切り替えがいよいよ意思だけに左右されるようになったなとよく思う。

今日は朝兼昼食が軽くておなかが空いていたので、茹でグリーンピースに削りチーズがかかったのや、たまねぎのズッパ(具だくさんのオニオングラタンスープ)、トマトチキンサラダ、ラム肉と野菜を焼いたのなんかを作業前にいそいそと食べた。私は「柔らか青豆の温サラダ」のことを心から愛している。叶うことならパスタやドリアの大皿にたっぷり盛られた豆を、大きなスプーンですくってずっと口に運び続けたい。噛むとここちよくぷつぷつ弾ける、あたたかく薄青い豆の甘みにほのかな塩気。温泉卵の黄身がとろっと絡んだところ、白身がぷるんと乗っかったところ、削りチーズがまぶされたところ、何もかかっていないプレーンなところを順々にすくって食べるとあっというまになくなってしまう。

住宅街にある平日夜のサイゼリヤは、ノートパソコンや書籍を開いたその手前にペペロンチーノや鉄板焼きハンバーグを大切そうに抱え込んで、赤ワインを飲みながら真剣にむしゃむしゃと食べているスーツ姿の男性がとても多い。まずジョッキのビールを飲み、後からゆっくりと羊肉の串焼きや辛味チキンなんかを摘まんでいく飲酒目的の男性も目に入るけど(すごく幸せそうで羨ましい)、ドリンクバーを取りにいくときなんとなく見渡してみたら圧倒的に前者が多かった。害のない音量と曲調のクリスマスソングがずっと流れ続けている。若干の非日常感が気持ちをほんの少しだけ浮つかせる、暮れの季節のファミレスが好き。

雑煮にルーツなんてなくてもよいのだ

自分が作るお雑煮のことをよく「野良雑煮」と揶揄する。県民性とか実家の味とかとまったく関係のない、ある年の大晦日に偶然できてしまったなんのルーツもないレシピだから。でもとてもおいしい。干し椎茸をひと晩水につけて戻したたっぷりの出汁に、風味が出るまで空炒りしたえびの頭(年越し蕎麦にのせる天ぷら用えびから拝借)を入れてしばらく煮込んで、少しの塩と醤油で味を整えたらできあがり。鶏肉とか青菜、冷凍でよいので里芋、あとこんがり焼いたお餅を入れて、刻んだ柚子皮を散らして食べるとなかなか手の込んだ味がする。

年越し支度はちゃんとしたほうが落ち着く

このたびの年越しはさして特別なことはしなかったけど、台所を磨きあげたり、雑然としていた収納をひっくり返して整理したり、そういう埃っぽいことはできるかぎり済ませた。庭の南天の枝を切って飾りつけて、ミイさんが買ってくれたおせちに合う日本酒を見繕い、和室のこたつのそばにストーブを持ってきて暖かくぼんやりと過ごす。たこの煮つけの端っこやスモークサーモン、鮑の旨煮にいくら、そういう海鮮おせちの残りものを、日本酒に飽きてきた三が日の終わり頃に酢飯にのせてかき込むのが豪華でよかった。

一年のふんわりした目標を正月ではなく誕生日に立てる派だから、今このタイミングでさほど何かを決意したわけではないけど、堅実に穏やかに暮らせればいいなと思う。いつの間にか30代を迎えた。仕事や家事でいっぱいにならず、平日の夜に「さて」と熱いお茶を淹れてパートナーとなんでもないお喋りができるような余裕を持っていたい。三が日には初詣帰りにミイさんと近所の大きな公園にでかけ、池のボートを眺めながらフランクフルトソーセージを食べた。

しずけさと蜜菓子

出かけるミイさんを朝の散歩ついでに駅まで見送ったら、ミスドでドーナツを買ってくれた。ちょっとした食べ物を買ってもらえると心が一瞬子どもに戻ったようで嬉しい。友人宅に仕事を持ち込んで喋りながら終日過ごすようで、私に買ってくれたのとは別のドーナツを手土産に改札の向こうへ消えていった。えびグラタンパイ、ハニーディップ、オールドファッションハニーの袋を提げながら近隣をジョギングして帰る。インスタントコーヒーを使って甘くないカフェオレをつくり、えびグラタンパイを軽くトーストして、午前中やけに陽あたりのいい仕事部屋に持って行って食べた。甘いのも欲しくなったのでそのままオールドファッションハニーも。蜜がけのお菓子が無条件に好きでよく選んでしまう。

処方されている薬の量が合わなくてその日はろくに動けず、電気毛布にじっと包まっていた。気づいたら外が真っ暗。何も食べずにいたらエネルギー不足を感じたので、朝買ってもらった残りのドーナツに手をつける。冷えたハニーディップドーナツからは陽なたの気配がしない。ただひんやりと軽く、輪の形をしてそこに存在している。ベッドのなるべく際に腰掛けて、キッチンから素手でつかんできたハニーディップに噛みついた。糖衣のかけらがこぼれないよう慎重に食む。表面の脆い薄氷が割れ、カシュ、と芯のない食感の甘い輪が口の中に一瞬で消えていく。どうにもできない気持ちが少し薄まる。こんな夜があってもいい。ミイさんが淹れた熱いコーヒーを飲みたいと思った。

薄曇りの日

うちは賃貸の一軒家だ。中こそリノベーションされていてそれなりに感じがいいが、外回りの手入れにいつも苦労する。猫の額よりはちょっと広い程度の庭に去年除草業者を入れてさっぱりさせたんだけど、そのぶん固い土がほぐれて耕されてしまった的効果が出たのかなんなのか、この一年で雑草がそれはそれは生い茂った。ジャングルの一角から直方体に切り抜いた空間をうちの庭にそのまま置きましたよ、という趣き。本当に窓の外がみっしり埋まるので冗談じゃない。植えてもない草が茎というか幹の規模までどっしり育っていて普通に怖い。

これは家の中から様子を見ている甘露

その一群がようやく秋冬を経て枯れて、嵩が7割くらいに萎び、素人でも手出ししやすそうないでたちになった。休職中で時間だけは有り余っているうえ、陽射しとか土とか草とかそういうのに触れたほうが心身によいだろうと思い、数時間かけて自分の背丈よりも大きい枯れ草を切ったり毟ったり束ねたりした。こういう土と枝と葉をさわる作業がけっこう好き。うちの白黒猫の産みの母(避妊手術だけ面倒をみたが外で好きに生きている野良猫)が横でずっと見ていてくれた。暗くなるまで黙々とやっていたらミイさんがお風呂を沸かしてくれたので、疲労と土埃にまみれた身体で、熱いシャワーを浴びて湯船に浸かった。乾燥しきった皮膚に清潔な水分がしんしんと染み込んで潤う。愛読書『砂とアイリス』のことを思った。

雨の日のホットドッグは熱々がいい

復職が近い。どのみち朝が遅い職種なので無理に早寝早起きを試みたりはせず、午前中に洗顔・着替え・朝食が済んでなにか活動を始められていたらよし、という緩いルールで残りわずかな日々を過ごしている。今朝は天気が悪く肌寒かったから、トマトチキンカレー(元々は家で一番大きい鍋で作ったミネストローネの残りにカレールーを入れたもの…が大量すぎてさらに余っている)をだしで割って卵を溶き入れたカレーうどんを作った。洋風とも和風ともいえないスパイシーな味が予想をはるかに超えたおいしさで、ミイさんと興奮しながら汁まですべて飲み干した。指先までじんじん暖まる。我が家ではこういう複数回のリメイクを経たカレー派生料理をキメラカレーと呼んでいる。大体すごくおいしいのだけど再現性が致命的に低い。

雨が降りやまないので午後は本を持って近所の喫茶店へ行き、ホットドッグを食べてコーヒーを飲みながら長時間ぼんやり過ごす。昔映画館に勤めていた時、売店のホットドッグが作り置きだった記憶が色濃いせいか(それはそれでチープな味で旨かったが)店で提供されるホットドッグがパンもウインナーも焼きたてだとそれだけでとても嬉しい。平日の半端な時間の店内を見渡すと、ノートパソコンを開いて仕事や勉強に励む身綺麗なお姉さんがちらほら目に入り、素直に「あれに戻りたいな」と思えた。こんなにめちゃくちゃな天気と気圧なのに、年始ごろに散々悩まされた鬱症状がもうさほど出ない。雨の日割引がある八百屋で、復職前後のために豚汁の材料や好きな野菜を買い込んで帰った。適度にやっていこうや。

春雷をのむ

去年ソーダストリームを導入して以来、辛口のジンジャーシロップを常備するようになった。色んな銘柄を試した中でもこれは辛さがかなり刺激的で、喉を細かい稲妻が駆け降りていったみたいにびりびり痺れるところがいい。薄いグラスに氷をいっぱい入れてジンジャーシロップと冷蔵庫に残っていた白ワインを注ぎ、淡い炭酸で割ったものを夕飯後に飲んだ。季節外れの初夏の熱が少し残って輪郭のやわい風が通る、ちょっと夢みたいに気持ちのいい夜にぴったりの飲み物。明日からはまたはっきりしない天気に戻るようで名残惜しい。先日なんとか復職したけど、寒暖差や気圧の変動がめちゃくちゃ体に響くのでどうか早いところ天候が安定してほしい。

せっかく調子がいいので何か気分の上がるものが欲しいなと思っていたら、フルーツキャンディを溶接したようなカラフルな色ガラスのデザートスプーンセットと、トルコブルーと透明の切り替わりが美しいバイカラーグラスを見つけてしまい、まったく抗えず流れるように購入した。でも本当に好みに合う食器に目がとまったときの興奮というのは、何にも代えがたい。悩む時間なんて一瞬もなく、その食器にぴったりふさわしい食べものを乗せた姿が鮮明に浮かぶ。私の視界に入ってくれてありがとう。真夏になったらこのグラスにバニラアイスや杏仁豆腐を盛って、光に透かしたりしながら吟味した好きな色のガラススプーンで食べたい。夏を想ってする買い物はいつも心を数ミリ宙に浮かせる。仕事が佳境のミイさんに付き合って夜更かしして、江國香織の『冷静と情熱のあいだ』を数ページ読んで眠った。