いぬごや

よくはたらくいぬです

ポップコーンと追憶

まもなく宴がはじまる

懐に少し余裕があるときに、KALDIでしょうもないものを買うのが好きだ。ここでいうしょうもないものとは、珍しい調味料(普通に料理で役立ってしまう)や瓶のデザインだけで選んだワイン(だいたい普通においしい)ではなく、コンロの直火にかざして作るタイプのポップコーンや、パンダの絵が可愛いだけのよくわからないアジア系インスタントラーメンのことを指す。安くてパッケージが特徴的で、単発で楽しめるけど複数回買うほどではない感じ。ただポップコーンだけはわけが違っていて、私は家で作れる加熱調理タイプのポップコーンのことを心から愛している。

冷え固められていたバターが熱で溶けて、コンロの火にアルミパンをかざす手の中に、とうもろこしが爆ぜる衝撃が細かく伝わってくる感触がいい。ぱんぱんに膨らんだビニールを裂くと立ちのぼる熱い湯気、少し焦げた香ばしい匂い、溶け残った塩粒、噛みしめると口の中にふっと漂う火の気配。紙袋をレンジで温めるタイプも手軽で好きだけど、この直火型の魅力には抗えない。

この密やかで遠慮のない破裂音を聞いていると、いつも意識がひと昔前に飛んでいく。20歳になるかならないかくらいの頃、いっとき映画館でアルバイトをしていた。洒落たミニシアターとかではなく、情緒も何もない都心の大型シネコンだったので、ゴールデンウィークや連休は目が回るほど忙しかったし(運悪くアナと雪の女王公開時に勤めてしまった。一生分のチケットをもぎったし指紋がなくなるかと思った)10を超えるスクリーンを分刻みで駆け回るのはなかなか大変だったけど、なかなか悪くない思い出がある。

シネコンのポップコーンは、売店にあるあの大きいマシンで大量に作られる。「作る」じゃなくて「炊く」って言ってたね。重い釜に乾燥とうもろこしと油を入れて(キャラメルポップコーンを作る場合はここで甘いパウダーも入れる)スイッチを入れると、そう待たずに蓋からあふれるほどたくさんのポップコーンが炊きあがる。長時間シフトに入った日はこれを何度も何度も繰り返すから、帰る頃にはいつもバターとキャラメルの香りが全身に染みついていた。

映画が始まると、ロビーと売店は驚くほど静かになる。そのあいだに、次の上映に備えて売店の食べものを作っておいて、ついでに遅れてきた客を案内したりするために、閑散とした売店から絶対に動いてはいけない役目がひとりのスタッフに命じられる(つまり、売店が完全な無人になる瞬間は存在しない)。その担当になるのが好きだった。喧騒が嘘みたいに拭い去られた映画館のロビーには自分しかいないし、その階から動いてはいけないから、スタッフ同士の無線連絡で急に呼び出されることもない。

ポップコーンマシンに材料を入れてスイッチを押し、ロビーで繰り返し流れ続ける予告編映像を眺めながら、マシンに寄りかかってぼうっと時間が過ぎるのを待つ。冷たくて硬いマシンがじきに熱を帯びて、もたれた背中にほのかな熱を感じる。とうもろこしが爆ぜだして、ポコポコポコという破裂音に背骨を細かくノックされているあいだ、なんともいえない満ち足りた気持ちになった。もう少しすると次の上映要員のスタッフがやってきて、あっというまに客であふれかえるけど、今だけはこの空間を独占しているという非日常感。ポップコーンの熱と破裂音を背中越しに味わったことがある人はたぶんそう多くない。

バター・塩・キャラメルから選べるその劇場のバターポップコーンは、機械で温められた溶かしバターをポンプで2プッシュかけることになっていた。ある夜レイトショーの受付中に、いかにも仕事帰りらしいスーツ姿の綺麗なお姉さんに「ビールとバターポップコーン、バター多めで」と注文されたことがあって、未成年の私はその粋なオーダーに惚れ込んだものだった。お酒を飲める社会人になったら、私も仕事帰りに映画館でビールとバターポップコーンをひとりきりで嗜みたい。1プッシュ多いバターを絡めたポップコーンを恭しく提供した約10年後、仕事のあとはパートナーの待つ家へまっすぐ帰るし、ポップコーンも映画もたまに楽しむ程度の大人になってしまったけど、この香りと音はたぶんずっと私の中に灯り続けている。