いぬごや

よくはたらくいぬです

夏のはじまりを食べる夜

桃やメロンや洋梨のような、とろっとした食感の果物が病的なほどに好きだ。熟しすぎる一歩手前。あくまでみずみずしくハリを残しながら、濃厚な果汁が口いっぱいに広がるあの食べごたえに目がなくて、四季を食べるような心地さえ覚える。
近所の八百屋で少し傷のあるおおきな桃をひとかご350円ほどで買うことができて、このところ毎日とにかく桃を食べていた。どれもよく熟していて、手でつうと美しく皮を剥ける。特に足の速そうなものは剥いたそばから贅沢にかぶりついて、少し甘みの足りないものは串切りにしてハチミツをかけてガラスの器ごとよく冷やし、それ以外のものも含めみな等しく在宅勤務中のご褒美としてたいらげた。わざわざ火を入れて煮たりしなくても、桃はハチミツをまんべんなくかけてひと晩冷蔵庫に入れておくだけで、蜜が染み込むときの浸透圧でたっぷり果汁が出てとてもおいしいコンポートになる。そんな手抜きのおやつを翌日の自分のために仕込む夜の台所で、ふと数年前の光景がよみがえった。

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これを一人でもりもり食らう

まだ実家暮らしだった前職時代。仕事に荒んでどうしようもないときは、ひとつ500円くらいする上等な桃を24時間営業のスーパーで買って帰ることにしていた。缶ビールやスナック菓子なんかを買ってしょうもない浪費をするよりよっぽどいい。家族が寝静まった真っ暗な家の中で台所のシンクだけ蛍光灯をつけて、流しで皮をむいた桃を切り分けもせず、一人で黙って泣きながらしゃぐしゃぐとけものみたいに頬張る。果汁に濡れた手を冷たい水道水で流して、顔も冷水で洗って、何事もなかったように蛍光灯を消す。そうやって自分の機嫌をとっていた。
桃は家族で分け合って食べるのが当たり前だったから、独り占めできるのは深夜の台所で泣くときだけ。フォークも皿も使わない。滴る果汁で手がびしゃびしゃに濡れるあの感覚。

まるで、前世の記憶のように遠い。あの頃はとてもじゃないけど、くだものにひと手間加えて朝まで寝かせる余裕なんてなかった。歯を食いしばるほどやるせないとき、自分を宥めるための頓服薬のようにがつがつと噛みついて食べていたいくつかの夏の夜を思うと、目を細めるような心地になる。
そうしてしばらくの間「まるごと独り占めするくだもの」は憤りの象徴のようだったけど、程なくしてひとり暮らしを始めたとき、記念すべきはじめの食事に私は洋梨を選んだ。初めて暮らす街で初めて訪れたスーパーで、家族と分け合うためでも、怒りを鎮めるためでもない洋梨をひとつ買って、まだ皿がなかったので実家から大切に持ってきたマグカップに盛って食べた。

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皿の一枚すらなかった頃

テーブルもクッションもなにもない。さらに言うなら、まだ冷蔵庫すら届いていなかった。ぴかぴかのフローリングにランチョンマットを敷いて、床に直置きされた接続したばかりのテレビで金曜ロードショーナウシカを見ながら食べた常温の洋梨。実家では洋梨が大好きな父に譲ることが多かったからなんだか独り立ちの儀式みたいで、ひどく神妙な、それでいて浮足立った気持ちでそれを頬張ったあの日も、気がつけばずいぶん遠くに感じる。

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①まるかじり ②串切り ③串切り ④ハチミツ漬け

すっかり馴染みになった八百屋で安く買えたおおぶりの桃、四つ。一日ひとつずつ食べて、きっちり四日間でたいらげた。どれも身体のすみずみまで沁みわたるようにひんやりとみずみずしく甘くて、良いデザートを食べるときに使うお気に入りの真鍮のフォークで丁寧に味わった。それでも三つ目と四つ目は独り占めが少し寂しくなって、くだものを分け合う相手がいる暮らしに焦がれだす。旬のくだものを安く買えて嬉しかったこと。どれも味わいが違うけど、もれなくよく熟れていて幸せを感じたこと。そういうことを言い合いたいとごねながらも、きっとこの夏も一人でたくさんの桃を食べる。