いぬごや

よくはたらくいぬです

初夏の豪雨とカレーの夜

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3日くらいで全部散ってしまった芍薬
ベッドでうとうとしていたら、はた、と湿り気を帯びたごくちいさな音が枕元で聞こえた。窓辺に飾った芍薬の花びらが落ちる音だった。柔い紙で作ったくしゅくしゅの飾り花や綿あめのような芍薬は、茎を斜めに切ってたった一晩水を含ませてやるだけで、驚くほどふわりと大きく開く。そのぶん、一気にほたほたと花びらが落ちていくのもとても早い。薄桃色がかった白い花びらが、とても静かに、それでいて嘘みたいに一斉に落ちるのが、奥ゆかしいんだか大胆なんだかよくわからなくて好きだ。

日々働きながら花や木を育てていると「花や木を慈しむ余裕があるな、よしよし」「いかん、葉が萎れてるのに余裕なくて全然気づいてやれなかった」という指標を設けることができてとてもいい。雨季にはいった途端フィカスベンガレンシスの新しい葉が湧きあがるようにどんどん増えていくのや、つやつやと柔っこかったイチジクの葉が日に日にしたたかな厚みを帯びていくさまを見ているだけで、平日の摩耗した心身がかすかに安らぐ。

ただ、身体がとにかく雨季に弱い。じっとりとした湿気と低気圧に負けて眠りが浅くなって、夕方ごろになると頭が重くてしょうがない。そうなると食事もおろそかになるので、ふと、熱く煮詰まったお味噌汁や湯気のたつこってりとしたラーメンを身体が欲して欲してたまらなくなることがよくある。ものを書く仕事だから脳の餌になるブドウ糖は積極的に摂るようにしているけど、塩分も摂らないといけないんだな人の身体ってやつは、とか思いつつ会社の備えつけのレトルト味噌汁をマグカップで舐めたりしている。カラリと清涼に乾いた真夏すら恋しい。

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疲れた夜は甘くて浮かれたお酒を飲みます

それでも、湿り気を帯びた草木のあおい匂いを嗅ぐとヒリヒリ乾いた内心がなだめられて潤うし、外に出かけずに作ったビーフカレーはちゃんと美味しくて、遠くにすむ恋人から届いた便りをなんべんも読み返しているうちに幸福に日が暮れる。
今日は家の窓をすべて開け放ったまま夕方から台所に立った。きゅうりを1mm幅の蛇腹に切ってごま油やお酢や鶏がらスープの素で揉みこんで、沸騰したお湯で7分茹でて作るとろとろの半熟ゆで卵をしょうゆやみりんに漬けて、カレーのためにたくさんの野菜を切る。具材をお湯で煮ているあいだリビングに戻ると、一日ぱっとしない曇天だった空がふいに晴れ間を見せてやわらかい杏色に染まっていた。まるで夏の終わりのような風にえもいわれぬ多幸感を覚えて、ぼうっと窓辺に佇む時間を愛おしいと思う。
バターでじっくり焼き色をつけたズッキーニととうもろこしを乗せたカレーは、なすがよくとろけて玉ねぎの食感がほどよく残っていて、夏のはじまりの味がした。味がぎゅっと詰まった焼きとうもろこしを齧ってからカレーを頬張ったときの心地は、きっとキンキンに冷やしたビールにもよく合う。今夜は赤ワインのサングリアに少しラムを足したのを飲みながら食べた。カレーはひとりで食べるにはやっぱり多い。恋人となんでもない話をして、平穏に食卓を囲める日が一日でも早く訪れればいいのに。おたま一杯分だけおかわりをした。

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初夏のビーフカレーとハッピー晩酌小鉢

職場のリモートワークは秋ごろまでしばらく続くようだけど、夏の採用が始まってしまったので、しがない中間管理職の自分はもうついぞ在宅には戻れずに終わる予感。でも会社にいれば、ぴかぴかに目を輝かせた春入社の新人たちが新鮮なきもちを分けてくれる。隣の課の大好きなお姉さん上司たちと腹を割って話せるし、このあいだは高級なバナナパウンドケーキをひときれおすそわけしてくれた。そういうのでなんとかなだめてやっていくしかない。この状況なりの夏の楽しみ方を考えながら、在宅の誘惑を断ち切る意思のあらわれとして、休みが明けたら定期券を3ヶ月分更新する。
これを書いているうちに強い雨が降り出した。ベランダのオリーブとイチジクの葉がしたしたと雨粒を受ける音が聞こえる。網戸から流れこむ夜気が涼しくてきもちいい。本を読みながらねむろう。