いぬごや

よくはたらくいぬです

前夜

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引き剥がしたり引きちぎったり、そういうくるしい痛みを伴うものだと思ってた。でも実際には違っていて、息を止めてじっと水に潜っているうちに、少しずつ身体から滲み出していったような心地がする。実際に潜っていたのは水ではなくこたつだけど。このところ、ずうっとこたつ毛布の中に全身をうずめて膝を抱えては、夜遅くまで濃い蜜柑色の熱源をなんとなく眺めている時間が増えた。

朝陽の眩しい東向き。フローリングをぴかぴかに磨き込んだましかくの部屋から、ハチの気配を追いやった。ハチと連れ立って内見に来て、引越しの日に一緒にダンボールを運び込んで、毎週末一緒に眠って過ごした部屋。ここで二人してあきれるほど泣いて、よく眠って、しょうもないことでいつまでも尽きずに笑った。ハチがいなくても暮らしは意外と成立するし、私の毎日に劇的な変化は起きていないけど、ただ、料理を作るのもごはんを食べるのもひどく億劫になってしまった。私の食欲をあの子が持っていってしまったのかもしれない。さいわい仕事が忙しくて、夜のオフィスで備えつけのカップ麺を啜って気を紛らわせているうちに、さよならをするかもしれない前夜を呆気なくむかえてしまった。

 

食べようと思えば食べられる。おいしいとも思う。それでも、おいしいものを食べるとどうしてもハチが脳裏にうかぶ。この週末は母親の誕生日を祝うために横浜のビストロに行って、高くはないけどとてもおいしいスペアリブやチキンソテーを食べた。とろとろにほどける豚肉が、シャクリともっちりの間の食感のれんこんのグリルが、チキンと一緒に香ばしく焼かれた菜の花がとてもとてもおいしくて、悲しいくらいにハチに食べさせたくなった。ビストロの近くにあるフルーツパーラーのパフェもまだハチと食べていない。あそこは夏になると真っ赤なプラムとさくらんぼのパフェが食べられるのに。駅の向こう、美術館のそばにある馴染みの焼肉屋にも連れていけなかった。帰り際に両親が持たせてくれた、実家の近くにできたパン屋で買ったらしい少し高級な生食パンで、クリームチーズと蜂蜜のトーストやコロッケサンドを作ったら、きっとハチに食べさせたかったのに。

 

明日ハチとお別れをする。きっと。たぶん。細く縁を繋げたままでいることになるかもしれないけど、きもちの面ではもうとっくにふつりと切れてしまった。不思議と寂しくはない。かわりに、身体の奥のほうがえぐりとられたままで、決定的になにかが足りない心地がして、ちょっと寒い。ほとんどすべてが変わってしまったあの日の翌日、少しでも部屋の空気を変えたくて買った赤いチューリップが、いつのまにかすっかり咲ききっていた。「一番きれいに咲いてるときの赤いチューリップの花びらって、まぐろの赤身のお刺身にちょっと似てる」。ふと気づいたこんな些細なことも、ハチに言わなければ口に出さないまま忘れていく。

最後にハチと食事をするんだろうか。このところ自炊をてきとうにしていたから冷蔵庫の中身が貧相だけど、確かナポリタンの材料がある。ケチャップだけを先によく炒めて、ウインナーはななめの薄切り、ピーマンは輪切り、バターとコンソメでこくを出したナポリタンはハチの好物だ。食べさせたら、きっと私もハチも泣く。食べさせなかったら、しばらくの間私は家でナポリタンを作れなくなる。明日の昼までずっと悩む気がする。こんな夜に、どうしてケチャップで炒めたスパゲティのことなんか考えているんだろう。