いぬごや

よくはたらくいぬです

ひとりとひとりに、ふたりで戻る夜

f:id:mogmog89:20200224191754j:image

この年になってようやく、時間が有限であることを知った。きっと、一緒にいてもいい時間を使い果たしてしまったんだと思う。出会った日から決められていたそれがどうしてもどうしても足りなくて、なんとかしてもっと一緒にいたくて、何度もふたりで必死で引き延ばしてきたけど、とうとう。

 

ハチとさよならをした。最後の日は、きわめていつも通りに過ごした。熱い紅茶を飲みながらコロッケサンドとハムときゅうりのサンドイッチを食べて、こたつでうたた寝をして、一緒に眺めていたテレビにおいしそうな餃子が映っていたから、夜には互いの家のちょうど中間にあるいつものバーミヤンまで歩いて出かけた。ちょうど一年前くらい、私が前の会社を辞めることが決まった夜と同じようにレモンサワーを飲んで、餃子やチャーシューやエビチリを食べた。あの夜ハチに「明日なにしたい?」と聞かれて、働き詰めでずっと買えなかったソファを見に行きたいと答えたことを昨日のことのように覚えてる。結局翌日に出かけるのが面倒になってしまって、日がなベッドで身を寄せ合って、冬眠中のどうぶつみたいにとろとろと眠り続けたことも。もしかしたら、そんなことをハチも思い出していたかもしれない。

お腹いっぱい食べて家路についた。帰ったら、家に着いたら、さよならの話をしなくちゃいけない。怖かった。その日は昼から一緒にいたのに、まるで示し合わせたみたいにそれまでずっと、なにごともなかったように振る舞いあった。少し違う道を歩いてうちに帰ることにした。いつもの川を、いつもと違う橋をわたって越えた。蜜柑色と菫色が滲みあうとおい東の夕焼け空が、まるで絵のようにきれいだった。このところ濃い山吹色の大きな満月が見られるのだと、どうやらそれを「スノームーン」と呼ぶらしいと、あの日の数日前に知ってからずっとハチに教えたかったことをようやく言えた。いつもいつも、些細なことばかり話したくなる。


うちに帰ってお茶を淹れて向かい合ったら、もうだめだった。こんなに、こんなにも日常的に根深くやさしく絡みあっていた自分たちの時間が終わってしまう。自分たちの「最後」があと何時間かで確実におとずれることが信じられなくて、喉が痙攣するくらい、息ができなくなるくらい、迷子の子ども同士みたいにただただ声をあげて一緒に泣いた。泣きながらさよならのために色んな話をした。もう、一生会わないのか。連絡手段はなにを残しておくか。どういう事態に陥ったときなら連絡してよいことにするか。もう死ぬまで会えないのはいやだなぁと、本当に悲しそうな声でハチがこぼしたから、うんと大人になったら会ってもいいことにした。それでもどうしても悲しくて悲しくて、この期に及んで何もかもが信じられなかった。

ハチが「普通」を欲しがって選びとったことを、私はちっとも責めていない。憎んでいない。いつかそうなるとわかっていて一緒にいた。なるべく早く「普通」のほうへと帰してあげなきゃいけないと知っていたし、そうしないと私だって、私の望む幸せが遠のくばかりだとわかってた。それでも本当に好きだった。愛しくて愛しくて、なんだってしてあげられた。ただ一緒にいるだけで心が満ちた。誰よりも愛したし、ハチも私のことを誰よりも慈しんだ。自分が同性しか愛せないことなんて11の頃には知っていた。30歳を手前にこんな陳腐な恋愛に長年費やすなんてと自分を蔑んだし、そういうのはうんと若いころにやり終えたと思っていたけれど、ハチと私は5年間もかけて、紛れもなく「私が男だったらずっと一緒にいられたね」というやつに終着してしまった。一番つらくて一番どうしようもなくて、一番、誰も悪くない。


楽しかったねぇ。今まで一緒にいた中で、今まで生きてきた中で、この一年がいちばん楽しかったねぇ。泣いて泣いて疲れ果てた私たちは、1ミリも離れないように抱きしめあいながら互いにそうこぼした。遠足から帰ってきた子どもみたいな声だった。この家に引っ越してきてから一年ちょっと、夢みたいに楽しかった。毎週末必ず同じふとんで寄り添って眠って、私の作った料理を家族みたいに一緒に食べて、たまに出かけて、たまに触れあって、誰よりそばでぴったりとくっついて笑いあいながら四季のすべてをハチと過ごした。春のまどろみも、夏の白い陽射しも、夢の中みたいな秋も、熱をわけあう冬も。まぼろしみたいな日々だった。目が眩むほどに愛おしかった。


朝陽の眩しい東向き。ロフトがあって天井がとても高くて、フローリングをぴかぴかに磨き込んだましかくの部屋。内見も引越しもなにもかも一緒で、ベッドすらふたりで組み立てた。これからもここで生きていく。心の奥の奥、一番深くてやわらかい、誰からの干渉も受けないところにずうっとハチがいる。私もハチの中にいる。何年もかけて二人で磨いたお揃いの宝物を飲み込んで、一生大切に抱えて生きていくと決めた。ずっと一緒にいる。誰よりもそばであなたを見てる。このお守りがあれば、たとえ本当に二度と会えなくたってもうなにも怖くないと魔法をかけあった。そうでもしないと私もハチもとても生きていけそうになかったから。始終なにかに怯えて絶望したように泣いていたハチが、ようやく活路を見出したようにこくこくと頷いたから、きっとこれが正解だったんだと思う。部屋をかたちづくるすべてのもの、高い天井とロフト、大きな植木鉢、積み上げられた本、真っ赤な冷蔵庫と電子レンジ、魚焼きグリル、そんなようなものにまで最後にひとつひとつ別れを告げていくハチを、私よりひとまわり小さい身体のおもかげを、二度と忘れることがないように見つめた。

互いの家の間にある橋まで、手を繋いでゆっくり歩く。橋の真ん中で強く強く抱きしめあって、固い握手をして、涙でべしゃべしゃに濡れた顔をそれぞれの記憶に焼きつけて、ほんとうに最後のお別れをした。私からの「じゃあね」で、長くいとおしい5年間が幕を閉じた。


ずっと一緒にいる。ずっと幸せを願ってる。もう一度、ほんの一瞬でもいいからまた人生が交わる日を待ちわびながら、その日をまっとうに迎えるために生きていく。これが私の生きる指標になった。そのためにほかの誰かを愛したいと思う。私なしでハチが幸せになれるように、私もしっかり、幸せになりたい。

ハチがいないときに買った一輪挿しのチューリップがきれいに咲いて、そっと咲き終えた。あれから毎日一日ずつ、しっかり時間が経っていくからきっと大丈夫だと思った。次の休日には新しい花を買いに行く。春がくる。ちゃんと春に向かってく。