いぬごや

よくはたらくいぬです

あたらしい春を知った夜

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好きな季節はなにかと聞かれたら、昔は冬と即答していた。灯油ストーブのあまい匂いが好きだから。マフラーに口もとをうずめるのが好きだから。きりりと凍った空気に肺が澄むような心地が好きだから。それがいつしか生まれ季節の秋に変わって、今ではすっかり春が特別になった。とろみを帯びた陽射しや輪郭のまるい風、つやつやとやわく若い葉、まだかすかに冷たい長雨を愛せるようになったのは、休職と転職を経てうまれかわった去年の春から。あれからもう一年経つ。

あの頃、ポストに定期的にブーケが届くサブスクで花を飾る楽しさを知って、今では花屋に足を運ぶようになった。駅の小さな花屋を隔週で訪れて、何本か選びとった切り花を大事に持って帰る。一輪挿しに飾って、ときどき丁寧に水切りをしてやる。大きな植木鉢のフィカスベンガレンシスを家に迎えたのもあの頃だった。毎朝マグカップ一杯の水を飲む木は好き勝手にぐんぐん育って、シルエットがひとまわり大きくなった。梅雨頃に一目惚れして買ったセロウムも、真夏に買って実をサラダにして食べたイチジクの苗も、今ではすっかり我が家に馴染んでいる。


植物をはじめ、身近に置いたものや人を大切にするのがわりと好きだ。カラメル色の革靴を磨いたり、一番気に入っているシャツにアイロンをかけたり、植木に肥料をやったり、直属の部下の面倒をみたり、自分の手にクリームを塗り込んだり。そういう中で、なんの怯えも遠慮もなく思うままに大事にしてもいい存在ができた。冬のおわりにかけがえのない離別を経た私を春の陽なたのほうへと連れ出して、まっさらに新しい人生をくれた。毎日を真摯に生きていて、ちいさな身体に包容力とこころざしを満たしていて、何からも逃げないきれいな文章を書くひとだと思う。

恋人になって程なくして、隣に並んで春のはじまりの海をただぼうっと眺めたとき。お味噌汁や卵焼きの朝食を作ってもらったとき。私の馴染みの店で、熱々のカキフライや餃子を一緒に頬張ったとき。花屋で黄色と白のガーベラを買ったと伝えたとき。陰りのないこの先の日々が見えた。これからの毎日や季節のことを臆せず話して、おやすみを言って、おはようを言って、穏やかに日が巡っていく。人とまっとうにやさしくしあうことを許されるなんて随分と久しぶりで、かたい氷が溶けきったような、主人と寝床を与えられたいきもののような心地になったと聞かせたら、どんな顔をするだろう。


もう会えないかつての片割れにも、いつかこの安堵が伝わればいいと思った。あの日の選択のひとつひとつや身を焦がしてえぐるような離別が、なにひとつ間違いではなかったと。互いにまっさらに生まれ変わったからもう大丈夫だと。風の便りすら届かないようにしっかりとさよならをしたけれど、何年も何年も経ってからふと何かの弾みで伝わったら、きっとあの日の幼い二人へのはなむけになる。ハチのことを書くのはこれでおしまい。どうか幸せでいてほしい。なにもかもが詰まったこの家とも、次の春にはお別れをしているかもしれない。


恋人のすみかは雨が多くて、春もまだ寒い。少し離れたところに暮らしているうえに、このところの情勢が拍車をかけてなかなか思うようには会えない。遠い地の天気予報を眺めて、あたたかく眠っているだろうかと考えながらふとんにもぐる。この前にこちらで会えたときは眩しいくらいの快晴で、春の気配と陽射しに目を細めるすがたがしんしんと愛おしかったこと。その前に私があちらへ赴いたとき、並んで佇んだ海辺で小さく丸まって、私よりも寒がっているすがたにきゅうと胸が焦れたこと。一緒に眠るときに触れた素足が子どものように熱くて安心したこと。そんなことを思い巡らせていると、とてもよく眠れるのだと気がついた。