いぬごや

よくはたらくいぬです

白桃のにおいを嗅ぐ夜

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桃がとても好きだ。大切に追熟させていたのをよく冷やして、この週末に友人と分けあって食べた。私があっという間に自分の分を完食したものだから、最後の大きなひと切れを食べさせてくれて、普段あまり意識していない年の差をなんとなく実感する。人と食べ物を分けあうっていいことだなと思う。

 

全然いまに始まったことではないけど、最近、料理を振る舞うのが尚のこと楽しい。ハチがいないこの夏、なんとなく持て余し気味だった対の食器を食卓にたくさん並べられるのが嬉しい。目玉焼きを乗せたガパオライス、ズッキーニのフリッターや豚バラ巻き、冬瓜とゴボウのミルクスープ。野菜をたくさん食べられる料理を作ると達成感がすごいし、ごはんをおかわりされるとふつふつと本能が喜ぶ気がしてる。

 

 

このところ、ようやく一人で眠ることに慣れた。誰かと同じベッドで眠る窮屈さと安心感が少しずつ非日常のものになっていく。一人暮らしだけど、これまでは週末になるたび必ずハチがふらりと泊まりに来ていたから。


突然の雨に慌てて取り込んだ洗濯物を広げたベッドで、ブランケットにくるまったホットカーペットで、春の陽射しにあたたまったベッドで、毛布を持ち込んだロフトで、数え切れないほど一緒に眠った。夜に限らず、よく晴れた休日の昼下がりにも、雨の降る肌寒い夕方にも。隙間なく寄り添うだけで、穏やかな眠気がひとりでに訪れるようになった。身体を丸めて巣穴の奥深くで眠る動物のきょうだいやつがいはこんな風だろうなと思う。一片の不安も曇りも溶けて消えてしまうようで、ちょうど冬が終わって春めいてくる時期、休職していた私はあの長い長い眠りでゆっくりと力を蓄えた。


そう広くもないシングルベッドの真ん中で、私を信じ切って腕の中にもぐりこんでくる小さく無遠慮な身体を引き寄せて、頰や額同士をぴったりくっつけて眠ると途方もなく安心した。小さくて熱い手が、寝惚けながらも私の背中を母親のように撫ぜた。私は頻脈持ちなのもあって人と同じベッドで眠るのが本来とても苦手なのに(自分とリズムが違う脈拍が身体に響くとしんどくなってしまう)、ハチと眠る時にそんなことを気にしたことは一度だってなかった。ハチは私にとって、たぶん、クマのぬいぐるみやライナスの毛布に最も近い存在だった。


あの子はなぜか、満月の時期になるとひどく眠たがって甘えん坊になる。朝から晩までベッドから出てこないハチに付き合って隣に寝転んで本を読んでいたりするうちに、伝染した眠気にあてられて私も日がな眠ってしまって、夜遅くになってようやくお腹を鳴らしながらふたりしてのっそり起き上がることもしばしば。あの冬の終わり頃は本当に、いよいよ冬眠が明ける時期のクマのように過ごした。寝ぐらで過ごしたある春の日は、昼間にスーパーに行きそびれたせいで冷蔵庫に笑ってしまうほど何もなくて、玉ねぎとじゃがいもだけのカレーを作って、わざわざワイングラスに注いだビールで乾杯しながら夜更けに食べた。そういう日々に決まってハチに着せていた彼女用のスウェットは、あまりにうちで寝るものだから、うちの洗剤で洗った直後でさえいつもハチの香水と体温の匂いがした。


冬眠から目覚めて、春が過ぎて、片割れのいない夏を過ごしている。シーツも枕カバーもとっくに夏用のものに取り替えた。冬になったらもうずっとずっと、今度こそ本当のお別れをすると勝手に決めている。さようならの準備が少しずつ整っていく。家から打ち上げ花火が見えたので動画を撮って送ったら、煙ばかり映っていたせいで「火事じゃん」と笑っていた。

果物がとても好きなハチは、遠い町で、ひとりで桃を買って、ひとりで剥いて食べただろうか。

 

 

土曜の晴れた夕方に八百屋で買った桃が、台所で食べ頃を待っている。昨日はミスタードーナツで海老ワンタン麺とフレンチクルーラーを食べてメロンソーダを飲んで、家からごく近い、それでも初めて来る町を友人と並んで散歩した。知らない町の八百屋を覗く楽しさは、今年になって初めて覚えた。夏の青いにおいをはらんだ風が強く吹いている気持ちのいい夕方だった。あの日はずいぶん久しぶりに人と同じベッドでぐっすり眠って、まともな朝食を向かいあって食べた。ああやって過ごす夏の日が、ひとりではないのんびりとした休日が。お別れの痛みを忘れられるのどかな日々がもっともっと増えればいい。