いぬごや

よくはたらくいぬです

希薄

抜け殻のときほど水辺に近づく癖

カメラロールの一角に、すりガラスみたいな色をした薄曇りの海や、夜の更けた知らない街、都会から手近なそう綺麗でもない海が妙に集っている時期がある。5年ほど前だ。前の会社でおよそ2年目くらい。仕事を覚え始めて気持ちに余裕ができて、ありあまる若い体力をとりあえずそそぐ先が欲しくてフラフラ彷徨っていた時期。

あの頃は守るものも手放したくないものもなくて、すごく身軽で、つねに退屈だった。恋愛関係になりそうでならない複数名のうちいずれかと、海浜公園の浅瀬に足をつけたり、遠いドライブ先で凪いだ海を見たり、雑居ビルで薄甘いシーシャを吸ったりしてぼんやり過ごす。

そういう相手と食べた食事がおいしかったかどうかとかは、あんまり覚えていない。屋台の鉄板で焼かれたステーキバーガーや、山道で寄った店のとろろ飯、お台場で食べたタコスなんかが一応記憶に残ってはいるけど、私が外食の味を覚えていないというのは相当なことだ。ちなみにそういう相手たちに手料理をふるまうことはもちろんなかったし、だいたい夜で、日中でもそんなに天気がよくはなかった。

週末になるたびどこへでも行った。まだ若くて、深夜や朝まで遊ぶことも容易かった。心身ともにとても希薄で、どこに対しても帰属意識がなく、かなり色んなところで夜を明かした。誠意を伴わないので疲れることもなく、人生で一番短く切った髪は首元が涼しくて気持ちよかった。

さして冷たくない真夏の海水に足を濡らしながら、人工の海岸でお台場の蜃気楼をふと見渡したときの寄る辺なさ。閉塞した暑い空気、当時お気に入りだった薄水色のシャツがぬるい潮風にはためく感触。不自然なほど透きとおった海水の底に、藍色のマニキュアが揺れるさまをよく覚えている。

撮影の仕事をしていた頃だったから、昼夜を問わずロケで毎日あちこち飛び回っていて、プライベートでもちょっと異様なくらいフットワークが軽かった。どこへでも行けるけど、最終的にどこに行くんだろう。そんな心地。

植物や家の面倒をみて、八百屋で安く買えた野菜で自炊をして…みたいな半径の狭い暮らしを昔からずっとしている気でいたけど、こんなにも若くて退屈な時期があったんだな。それが記憶からすっぽり抜け落ちていたことに少し面食らった。思い返してみると、そのフラフラした青くて青くてしょうがない時期ののちに一旦休職して、深夜よりも真昼間とか夕方のほうが心地いいな〜と丸くなり、1Kの部屋でハチと名前のない関係を築きながら急に所帯染みたような気がする。

師走最大の山を越えてから少しぼんやりする暇ができたので、ここ数日そんなことを考えていた。こうやってちょっとした過去を言語化していくと、文字数のぶんだけ自己理解が進んだような気になれる。今夜は珍しく夜更かしして、パートナーとお茶を飲みながら各自机に向かっている。猫は全員めいめいのお気に入りの場所で寝た。人間もそろそろ寝ようか。