いぬごや

よくはたらくいぬです

緑のあかり

ファミレスには自由な夜のイメージがある。実家から通勤していた頃、短い一人の時間を少しでも満喫するためにバーミヤンでエビチリとレモンサワーだけを頼んだり、家の近くに友達が住んでいた時期は、徒歩圏内のサイゼリヤで深夜にデキャンタワインを飲んだり。そういえば新宿二丁目へ通っていた若い頃は、ジョナサンでジャンバラヤとかを食べて空腹を満たしてから、いつもの行きつけのバーへ向かう定番の流れがあったりもした(今調べてその店舗がなくなっていたことを知った。馴染みのファミレスの閉店ってけっこう悲しい…)。

先日、仕事のむしゃくしゃがまったく治まらないまま帰ってきた日。とにかく料理をしたくないことだけはわかるものの、何を食べれば気が晴れるか全然わからず、パートナーを連れて駅周りをずいぶん放浪してしまった。ジャンクフードや回転寿司の気分じゃないし、奇抜なタイ料理を食べられる熱量もないし、よく行くおいしい蕎麦屋はもう閉まっている。悩んだすえ、見慣れた緑色の看板に「どうにかしてくれ」とぶん投げるような気持ちでサイゼリヤへ行った。

そこでたちまち気づくことになるんだけど、ファミレスのメニューというのはすごい。大きくてぴかぴかしていて、開くとたくさんのおいしそうな料理が載っていて、クリスマスの時期に出るおもちゃ屋のチラシみたいに否応なく(かなり強引に)楽しげな気持ちにさせてくる。飲食店全般のメニューを愛好しているなかでも、やっぱりファミレスのメニューには独自の人懐っこさがある。

何種類もの料理の写真がのったファミリーレストランのメニューは大好きだ。なんていうか、いろんなことが全部うまくいく、そんな気持ちになるのだ。こわいこととか、心配なことが、色とりどりの料理の陰にすうっと消えていってしまう感じ。ならんだ料理の一つ一つをゆっくりながめていく。

これは、私の好きな『キッドナップ・ツアー』という小説で書かれている、子どもの頃からずっと気に入っているくだり。メニューを眺めたところで中間管理職の苦悩がどっかにいくことはないが、でも「そんな気持ち」になることは本当にたしかで、ハンバーグやコーンスープからその恩恵をしっかりと受けた。

柔らか青豆とペコリーノチーズの温サラダ、辛味チキン、たまねぎのズッパ、小エビのサラダ、プチフォッカ。こまごました料理を分けあって食べると、お子様ランチでも与えられたみたいに「楽しいね」とか「おいしいね」と簡単にニコニコしてしまう。スプーンでつつきあったり、調味料を足したりパンに挟んでみたり、そういう家っぽくくつろげる食事がありがたい。都心ではないので、まわりの客も近隣に住む家族連れや、気張らない格好をしたカップルばかりというのもいい(私たちもそんな見た目だ)。

削りチーズのこくがすばらしい青豆をちょっとずつ大事に食べて、チキンをほぐしたのをフォカッチャと一緒に頬張って、デザートにイタリアンカラメルプリンを頼んだ。べっこう飴みたいに深くこっくりしたカラメルの甘さが、脳天にそのまま届く暴力的なおいしさ。季節のフルーツとかが繊細に盛られた、華奢なスプーンでおそるおそるすくって食べる1500円くらいのパフェとかでは得られないプリミティブな嬉しさがある。

こういう食事でしか救われない夜っていうのもたくさんある。プラスチックカップになみなみ注がれた白ワインを一杯だけ飲んで、お腹いっぱいで帰路についた。