いぬごや

よくはたらくいぬです

概念としてのチキンバスケット

チキンバスケットという食事がある。その名のとおりバスケットにフライドチキンやチキンカツ、からあげなどの鶏肉料理を主役として詰めたもので、そのほか店によってはポテトフライやトースト、茹で卵なんかが脇役として一緒に収まっている。私はこれが大好きだ。実際には提供された席でそのまま食べるものだけど、手づかみで食べられる人懐っこいビジュアルの食事がカゴに詰められているのを見ただけで、これと冷えた小瓶のビールでも持ち、山や川辺の供にできたらどんなに嬉しいだろうと楽しくなる。どこどこの店のチキンバスケット、という実在するメニューとして回想するのではなく、チキンバスケットという概念について想像を巡らせるのが私の妙な趣味のひとつと言ってもいい。

私の空想上のバスケットは薄く丈夫な籐で編まれたもので、白いペーパーナプキンがざっくり敷かれている。そこに入っているチキンは、できれば骨のないものがいい。ケンタッキーのカーネルクリスピーみたいにザクッとした歯ごたえのフライドチキンが理想だけど、元祖チキンバスケットとして有名な銀座キャンドルよろしく、狐色のきめ細かい衣がまぶされたサクサクのチキンカツもいい。いずれにせよあっさり揚がった鶏胸肉のフライで、肉汁やジューシーさより、香ばしく軽快な噛み心地と(だからといって決してぱさついていてはいけない)、淡白ながらもしみじみとおいしい味わいを楽しみたい。そこに気持ち程度のカットレモンとケチャップが添えられているとなお嬉しい。

チキンだけでもいいんだけど、脇にちょっとだけ違う食べ物が入ると途端に楽しい「詰め合わせ」感が増す。厚切りのトースト(半分にカットされている)と少しのポテトフライ、口の中をリセットするための少量のサラダとかがいいな。トーストにはあらかじめ塗られたバターが均等に染み込んでいて、ポテトは塩の効いた細切り、サラダはスティック野菜や小さなカップ入りのコールスローなんかがありがたい。これらはあくまで主役であるチキンの引き立て役なので、量はどれもささやかなものであってほしい。

このバスケットを膝の上に置いて期待にそわつく手を拭き、まず野菜で口内を湿らせ、熱々揚げたてのチキンを心ゆくまで齧り、決して食べきらず合間でポテトやトーストを少しずつ摘み、またチキンに戻り…というような黄金の流れを考えるのが、どうにも楽しい。「概念としてのチキンバスケット」は、いつも揚げたて熱々の黄金色で私を待っていてくれる。

…なんてことを冗談ではなく本当に常日頃考えている中で、先日、衝撃的な出会いを果たした。会社に昼の弁当を持参せず、食べに出るか買ってくるかする必要があったある日、適当に入ったジョナサンのメニューに「クリスプチキンバスケット」という陽気な文字列が燦然と光っているのを見つける。ドキドキしながら頼んでみたら、私の愛する「概念としてのチキンバスケット」がそっくりそのまま運ばれてきた。ザックリ衣のフライドチキンに、メルトバタートーストというなんとも憎い名前の分厚い食パンに、こころよい量のコールスロー、塩けの軽やかなポテト、そして好みの味を選べるディップソース。ハニーマスタードソースを選んでチキンやトーストをつけて食べたら、甘じょっぱくジャンクな味に神経が舌からびりびりと痺れるような心地すらする。

すべての食べものが冷めないうちに最適な順番で少しずつ齧り、最後のひと口をチキンでフィニッシュする順番を忙しく考えているうちに、あっという間にたいらげてしまった。食後にぼんやりと余韻を味わえる、ちょっと物足りないくらいの量で終わってしまうのがいい。ハンバーガーやサンドイッチでは得られない類いの充実感。目玉焼きやウインナーが大皿に所狭しと乗ったイングリッシュブレックファーストや、お子様ランチみたいな料理を食べ終えたときにすごく近い感覚かもしれない。

かくして、私の頭の中にあるチキンバスケットには、赤いケチャップの代わりにハニーマスタードがちょっと添えられることになった。こういう中身のないことを考えている時間が何より楽しい。ちなみに同じく頭の中にある「概念としての塩ポップコーン」はシネマート新宿、「概念としてのポテトフライ」は元町珈琲に行けば食べられる。