いぬごや

よくはたらくいぬです

ひとりとひとりをやめた冬

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これを履くと機嫌がよくなる

思えば、生まれ季節の秋を私はずいぶんと好きだ。師走に向かって落ち着きをなくしはじめる一歩手前の、エアポケットのように穏やかな時期。いつもなら革靴を磨きだしたり、紅葉を見にいってみたりと呑気に暮らしているけれど、今年の秋は眩暈がするほどの暴風が吹きすさんだ。
飴玉みたいな目をした最愛のねこと、恋人が飼っていたねこが揃って旅立ってゆき、ふたりでわんわん泣きながらいくつもの夜をやり過ごした。ふたりがかりで介護ねこミルクをシリンジで飲ませた日々や、カプセル型のペンダントトップにおさめたしっぽの先の骨(断面が金平糖みたいな六芒星型をしていてたいそうかわいい)を一緒に眺めた冷たい雨の日なんかが少しずつ積み重なって、気が付けばすっかりとたましいを半分こしている。

空気がパキリと澄んだ冬が来た。年上の恋人と暮らしはじめてしばらく経つ。手塚治虫が描いた牝鹿みたいにしなやかな人で、私よりけっこう長く生きているぶんだけ多くのことを知っているのに、きゅうりとわかめをちょっと和えただけの簡単なおかずを大喜びで食べたり、瓶のふたが開けられないと半泣きで私のところへ持ってきたりする。
一軒家で同棲するために、連名の契約書にたくさんはんこを捺して、苗字がふたつ並んだ表札を掲げた。連名の熨斗をかけたご挨拶のカステラをご近所さんに配ったりもした。家事と家計を分担して、片方の具合がよくないときは薬を飲ませて、いってきますやただいまを言いあって、これが家族でなければ私は家族というものを知らない。冬が深まる頃になったら、見積書に「新婦1」「新婦2」というナンバリングがつけられた揃いの結婚指輪が私たちを少しだけ可視化してくれる。真似っこの枠を出ないことは互いにわかっているから、むなしさには蓋をした。そんなことを憂うよりも、ふたりで生きていくために考えるべきことがいくらでもある。

朝陽の眩しい東向き。ロフトがあって天井がとても高くて、フローリングをぴかぴかに磨き込んだましかくの部屋。たった5箱の段ボールを持ち込んで暮らしはじめた家を、3年と少しの日々を経て、20箱といくつかの家具家電、たくさんの観葉植物とともに出ていった。あの家とあの街がしばらくのあいだ私を構成する基礎だったから、もうそこが帰る場所ではないことがたまに夢みたいに現実味をなくす。大きな川の淵に佇んで水面をぼんやり眺めることも、深夜にふらっとレイトショーを見に行ってバターポップコーンを食べることも、もうない。深緑のドアとキャラメル色の外壁が、艶々のフローリングに射す眩しい陽が、内見で初めて訪れた秋の日から運命みたいに好きだった。

年末になったら、まだ残っている段ボールをがんばって片付けたり、正月飾りを扉にかけたりして、年越しそばにのせる天ぷらをいそいそと揚げる。親からの干渉をかわすのもずいぶんうまくなった。とくに祝われもしないし手続きもいらない結婚だけど、そういう気持ちで迎える新年はこれまでとどれくらい違うものなんだろう。