いぬごや

よくはたらくいぬです

赤いスープの夜

夏が近いらしい。ここしばらくずっと、身体の不調をどうにか受け入れようと悪戦苦闘しているうちに、いつの間にか上着なしでも出かけられる季節になっていた。雨が降るから大好きな煉瓦色の革靴を履けないし、湿気で髪がかたくなに跳ねる。繰り返し丁寧に手洗いしているお気に入りの布マスクがもう暑くてつけられない。毎年、雨季から夏にかけてをどうやってやりすごしていたのかをきっちり忘れてしまう。去年の今頃買ったときはせいぜい60cmくらいしかなかったオリーブの苗木が、育ちに育って自分の背丈を超えていたことにすらつい先日気づいた。

出勤しているいくつかの部署だけが、秋までの臨時で違うオフィスに引越すことになった。機材とかマグカップとかデスクに飾っていた食玩とかの色んなものを段ボールに詰めて、課の席順を考えて荷造りや荷解きの指揮をとって、そんなようなことで汗をかいていたら少し元気が出た。大きな窓を背にした新しい席。たぶん、晴れたら陽が射してうんと暑い。

帰ったら家にはトマトスープの鍋がある。昨夜0時過ぎ、電気を消して眠る努力を始めた頃に急に思い立って、15分ほどで唐突に作った。以前からずっと「真夜中に突然スープを作りたくなる」という欲に勝つことができない。とにかく無心で野菜を刻みたくなる。たまねぎとズッキーニとマッシュルームを黙々と角切りにするだけでかなり心が静まる。おろしにんにくを弱火にかけたオリーブオイルに馴染ませて、野菜を全部入れて玉ねぎが透きとおるまで炒めて、トマト缶とサバ缶を入れて適当に調味すると、空の鍋が何食分かのスープの入った鍋に変わる。眠る前に具をよけたスープだけをコップに注いで暗い台所で啜った。火みたいに濃くて熱いトマトスープは、ざわざわと落ち着かない雨季の身体に驚くほどよく沁みる。

夜気の匂いが変わったなと日に日に思う。駅から家までの真っ暗な住宅街が、肺までじくじく濡らすようなクチナシの重たい甘い匂いでいっぱいになる季節。家に着いたらシャワーを浴びて、トマトスープを温めて、ついさっき閉まりかけのスーパーで買ったプラムと食べる。