いぬごや

よくはたらくいぬです

骨つき肉の夜

ほとんど日陰のない家から駅までの道を、背中をかんかんに焼かれながら毎朝歩いている。うすいターコイズのポリッシュを塗った足の爪だけが涼しそうで、海とか川とか、水辺を恋しく思うことが増えた。下地のうえにさっと刷毛を滑らせただけの一度塗りが、うまいぐあいに透けて海の浅瀬みたいに見える。

まぎれもない真夏だ。蝉の声や白い陽射しのなか、ひとりで検討とか決断をしなければいけない事柄がどんどん増えてくる。涼しいオフィスに毎日通っていてもなお、夏ってだけで追いつめられるような気がしてならない。キンと凍りそうなほど寒い真冬のほうがよっぽど元気だし、マフラーやコートに守られる日々が恋しい。夏はあまりに身軽すぎて、味方が誰もいないような心もとなさが焦燥に拍車をかけていく。

なんだかもう全部がめんどうだな、と毎日思い続けることすら億劫になりはじめたので、骨つきのスペアリブと大きな冬瓜を買った。なにが「ので」なんだと我ながら思うけど、達成感をともない、それでいて頭を使わない料理はてっとり早く精神に効く。冬瓜排骨湯という中国のスープを作った。

うちで一番大きい鍋に、ぶつ切りにした骨つきスペアリブをたくさんと、皮を削いで種をとってざくざく切り分けた冬瓜を詰め込む。水を入れて沸騰させると嘘みたいにたくさんあくが出るので丁寧にすくいきって、天日塩と粗くおろしたにんにくで調味。蓋をして弱火で40分放置。先日台所に置いた椅子で本を読みながらビールを飲んでいるうちに、きれいに澄んで肉と骨のだしがたっぷり出たスープができあがる。
これが驚くほどおいしかった。可愛くないガス代と引き換えにとろとろに煮込まれた肉は、唇で食むだけであっけなく骨から剥がれる。スペアリブのだしとかうまみとかを吸った冬瓜も、透きとおったスープも、身体の芯に火をつけそうに熱くておいしい。ここにクコの実でも入れれば立派な薬膳スープになるだろうな。シンプルすぎるほど少ない材料でできた料理を骨を掴みながら食べる、という飾り気のない行為に、今はすごく救われる。

そのうち、胃がちぎれそうになる日もくるんだろうけど。ちぎれたらどうにかすればいい。今まで一度もちぎれたことないし。明日は最後の一杯をスープジャーに詰めて会社に行く。一番大きくてほろほろに煮えたスペアリブの塊を、金曜の自分のために残してある。