いぬごや

よくはたらくいぬです

血より濃いもの

うちは賃貸の一戸建てで、ささやかな庭がある。春になるとカラスノエンドウやその他色々が咲きまくって可憐ながらもえらいことになるので、重い腰を上げて除草業者を依頼した。その見積もりのために庭を見せたりする対応を引き受けたら(パートナーは仕事中)業者のそう年配でもない男性に私のことを「奥様は〜」と呼称されて、一瞬誰のことを言っているのかわからず変な間が空いてしまった。造園施工の職人からすると、一戸建て+平日昼間+推定アラサーくらいの女性=専業主婦と思うのはまあもちろん理解できるけど、依頼主なんだから名前で◯◯様って呼びなよ…とかなりモヤモヤした気持ち。世帯主だし、私があなたにお金を払って依頼してるんだけどね。表札だって連名だし、二階からパートナーの声とか聞こえてきたらどんな反応したんだろう。

そういうくさくさした時は、なるべく本を読むようにしている。きのう読んだ小説『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー/桜木紫乃』がなかなか好みだった。いわゆる「ひょんなことから奇妙な共同生活を送ることに」というような、期間限定の擬似家族シチュエーションに年々弱くなる。血が繋がっていなくても、繋がっている家族よりずっと濃い「家族」をやる関係性が好き。寒さや空腹をともにして(北国×貧困の組み合わせにもぐっときてしまう)灯油ストーブの暖や大鍋で作ったインスタントラーメンを分けあって、いつしか別れが訪れることもわかりきっているのに、今がずっと続くような錯覚を覚えてしまう。映画『ミッドナイトスワン』を彷彿とさせるような、アンダーグラウンドな夜の色もいい。小説は日々色々読むけど「これは好きだ」と断言できるものに巡りあえる確率はまあまあ低いので、好むものが見つかるとすごく嬉しい。

「未読のまま本を積む」ことが生理的に我慢ならず、うちには基本的に長期にわたる積み本が存在しない。人に読まれるためだけに生を受けた本という物質に対して、購入してほかの誰の手にも渡らない状況にしたうえで「読まない」という仕打ちをするのは、最大の存在否定というか…なんかそういうたまらない気持ちになってしまう。文字以上のものが詰まった本を、単なる紙の束に貶めるのは悲しいことだと思う。

物理的に積んでるのは許して

ひと月の春休みも後半に入ろうとしているので、残りはなるべく本を読みたいね。『雪と珊瑚と/梨木香歩』『水たまりで息をする/高瀬隼子』『おいしいごはんが食べられますように/高瀬隼子』『メロンと寸劇/向田邦子』あたりを最近読んだ。村上春樹作品を除くとうちには女性作家の本がかなり多く、その影響もあっていつも書いている文章もだいぶ女性的だと思うから、次は意識して男性作家の本を選んでみる。