いぬごや

よくはたらくいぬです

岐路にたたずむ朝

f:id:mogmog89:20190812173455j:plain
いつかの日

自分が今立っている場所のことを、たぶん世間一般的に人生の岐路と呼ぶんだろうな。あらゆる意味でそういう状況にある。シャッターでも閉めたかのように潔く夏が終わった途端、そのことにようやく気がついた。

人生における重要な節目を迎えると、進路のことを親に相談するのと同じような具合で、ふとハチが脳裏によぎる。ただ当然ながら実体を伴うことはないので、どうしたらいいかな、こうしてみるよ、こうなったよ、の自問自答と自己解決に付き合わせるだけ。ぬいぐるみに話しかけているのと大差ない。当時飲み下したお守りが、年月を経て静かに効果をもたらし始めている。

あれからしばらく経って、とりあえず一人で立てるようになった。まわりの景色はそれなりに変わった。いまだにうまくできないことばかりだというのに、守らないといけないものがぞっとするほど増えた。変わることを余儀なくされる毎日を過ごしていると、自分のなかにあるもう変わりやしない過去を見つめてしまう日が少なからず増える。その一環として、あの日々が時折色濃く解像度を増す。卒業アルバムを眺める感情にかぎりなく近い。捲ったところで誰かに対する罪悪感が生まれることはない代わりに、いくら眺めたってそこに戻れやしないのはわかっているし、戻りたいという気持ちも、もうない。

ある熱帯夜、熱湯のなかを泳いでいるのかと錯覚するほど茹だった帰路を歩いていたとき、いつかの夏の日を思い出した。ハチが長期出張に出かけていた、遠い街を訪ねた夏休みのこと。夜に合流するまでの一日を潰すために、ハチの滞在先のマンスリーマンションのそばにある公園で大きな噴水に腰かけて、買ったばかりのハードカバーの本を読んだ。朝からとても暑い日で、そう遠くもない街並みが蜃気楼に揺れているのに、生ぬるい風の吹く噴水のそばは意外にも涼しい。ページを捲るごとに、パリ、と新しい紙の匂いが立ちのぼる。しゃわしゃわと満ちる蝉時雨。レンガの地面を焼く陽ざしがあまりに白く眩しくて、夢かと思うほど現実味がない。

知り合いの一人もいない初めての街で、一言も喋らずただ噴水に腰掛けて本を読み、教えてもらった店で昼食のビーフサンドイッチと杏のかき氷を食べ、日が暮れてからはダイナーでハイネケンを飲み、電話で呼び出されるまで煙草を何本か吸った。それだけの日だ。なのにどうして急に思い出したのかまったくわからないけど、ハチありきの、ああいう穏やかな一人の時間もそういえば確かにそこにあった。

わりと、遠くまで来た。もっと遠くまで行くことがすでに決まっている。どういうふうにそこへ行くかを、この秋とやがて来る冬のうちに決めないといけない。ひと夏かけて腹を括れたように思っているけど、このうちごく一部は虚勢だということもわかっている。それでも春に偶然ハチと「会えてしまう」機会があったとき、それを誰にもこぼさず心身ともにきちんと遠ざけることができた自分がいるから、たぶんそう苦しいことにはもう遭わない。そうだといいね。今夜はサバとにんにくのトマトシチューを作る。苦手な夏を乗り越えて、自分で自分を立派に食わせているんだから、それでもう十分じゃないかとも思う。