いぬごや

よくはたらくいぬです

新しい名前をもらった夜

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冬に仕事で身体を壊して職場とさよならする決心をしてから、早ふた月くらい。新しい職場が決まった。ずっとずっと憧れてた、もの書きの仕事。

 

今思うと冬にしては陽射しが暑い日だった。ぬるく心地良い春の嵐に面接帰りのかばんをぶらぶらさせながら、引き継ぎを済ませてロッカーを空にして、マグカップやペン立てやデスクの上のクマなんかを細々と持って帰ってきた日のことをなんとなく思い出した。

もう一睡もしていない明け方のオフィスで、ロケバスがやってきてしまう音を聞いて絶望しなくてもいい。狭いカプセルホテルで悪夢にうなされて泣かなくてもいい。早朝に吐き気と涙を我慢しながら歯をくいしばってお化粧しなくてもいい。夜更けに寝ついた数分後、社用端末の着信音に飛び起きなくてもいい。そう思うとたまらなくほっとするのに、不思議なもので、完パケたムービーを観てスタジオで嬉し泣きしたあの日とか、深夜残業中に皆で食べたデリバリーピザの味とか、すっかり懐いた後輩が夢を語ってくれるのを聞きながら食べたランチのガパオライスの辛さとか、恩師のプロデューサーに仕事を任せてもらえた時の誇らしさとか、先輩の誕生日を祝ってハンバーガーに仏壇用ろうそくを立てて笑い合った夜とか、スタイリストさんと衣装をたくさん広げてコーディネートに明け暮れた日々とか、オーディションで子役の笑顔を引き出せた瞬間とか、初めて行った撮影現場でのラストシーンで見た泣きそうに綺麗な夕焼けとか、そういう数えきれない鮮やかな思い出を愛おしむ自分もいて、あぁ間違った日々ではなかったんだな、そう思うと辛かった諸々がようやく報われたような気がした。

 

数年間慢性的に足りていなかった睡眠を取り戻すようにこんこんと眠った。激務中はとても世話できなかった、大きなフィカスベンガレンシス(ゴムの木の仲間らしい。毎日マグカップで水あげてる)の鉢植えを買った。小さなブーケを定期的に買って花瓶に飾るようになった。苺と砂糖を瓶で漬けてシロップを作ったり、コーヒーのドリッパーを新調したり、秋に越してきた家の台所は随分賑やかになった。一番しんどかったとある冬の休日、泣きながら持ち帰り仕事してたら友達が豚バラと白菜の鍋を作って食べさせてくれたな、ああそういえばあの冬は本当に食欲がなくて、こんなに食い道楽なのに何も食べたいと思えなくて悲しかったな、そういうのを色々思い出しながら作った肉じゃがや酢鶏やハムカツはきちんと美味しくて、ようやく全部が元通りになったことを噛みしめた。


冬が終わった。一人で越してきた家で、寒い寒いたくさんの夜を乗り越えることができたから、きっと春からもやっていける。