いぬごや

よくはたらくいぬです

たてがみのない夜

年に一度、首が全部見えるほどに髪を短く切る。とくに離別とか決意とかそういう理由がともなうことはなく、単純に癖毛にうんざりする周期が年一で訪れるというだけの話だけど、着る服の系統をけっこうしっかりと変えなければいけないので、結果としてそれなりの儀式めいたものになってしまう。

その時期は年によって違って真冬だったり真夏だったりするけど、今年のぶんをこの週末にやった。前回は去年の秋が深まる頃で、マフラーやハイネックのセーターが心許なくなった首元を覆ってくれたけど、真夏はそうもいかない。遮るもののないうなじを白い陽がじりじりと焼く感触。冬に首が冷気に晒されるのは身体が芯まで澄むようでむしろ気持ちがいいのに、暑い今はなんとなく、群れから放り出されたいきもののような心地になる。たてがみが立派でないはみだしものの雄ライオンとか、そういうの。

筆が進まない仕事をなんとかやりきった。職域接種の日程がうんと延期になった。ベランダの育ちすぎたオリーブを剪定して、切り分けた枝を束ねて飾った。シャンプーをレモングラスの香りがするものに変えた。ここ数ヶ月蔑ろにしていた自炊をまた細々と再開した。部下がまた増えて、業務領域がじわじわ広がって、だからといってそう変わることのない日々が続く。

8月が終わったところでまだ残暑がうんと残っていることは理解していながらも、私の心身ではどうにも処理しづらいこの季節に終わりが見えてきたことが、くさくさしたなかに唯一の安堵をもたらしている。早く秋になってほしい。首も腕も、本当は暖かいものに包んで隠してしまいたい。マスクで異様なまでに火照った顔をぐったりしながら冷ます夏が、来年もまた来るんだろうか。

骨つき肉の夜

ほとんど日陰のない家から駅までの道を、背中をかんかんに焼かれながら毎朝歩いている。うすいターコイズのポリッシュを塗った足の爪だけが涼しそうで、海とか川とか、水辺を恋しく思うことが増えた。下地のうえにさっと刷毛を滑らせただけの一度塗りが、うまいぐあいに透けて海の浅瀬みたいに見える。

まぎれもない真夏だ。蝉の声や白い陽射しのなか、ひとりで検討とか決断をしなければいけない事柄がどんどん増えてくる。涼しいオフィスに毎日通っていてもなお、夏ってだけで追いつめられるような気がしてならない。キンと凍りそうなほど寒い真冬のほうがよっぽど元気だし、マフラーやコートに守られる日々が恋しい。夏はあまりに身軽すぎて、味方が誰もいないような心もとなさが焦燥に拍車をかけていく。

なんだかもう全部がめんどうだな、と毎日思い続けることすら億劫になりはじめたので、骨つきのスペアリブと大きな冬瓜を買った。なにが「ので」なんだと我ながら思うけど、達成感をともない、それでいて頭を使わない料理はてっとり早く精神に効く。冬瓜排骨湯という中国のスープを作った。

うちで一番大きい鍋に、ぶつ切りにした骨つきスペアリブをたくさんと、皮を削いで種をとってざくざく切り分けた冬瓜を詰め込む。水を入れて沸騰させると嘘みたいにたくさんあくが出るので丁寧にすくいきって、天日塩と粗くおろしたにんにくで調味。蓋をして弱火で40分放置。先日台所に置いた椅子で本を読みながらビールを飲んでいるうちに、きれいに澄んで肉と骨のだしがたっぷり出たスープができあがる。
これが驚くほどおいしかった。可愛くないガス代と引き換えにとろとろに煮込まれた肉は、唇で食むだけであっけなく骨から剥がれる。スペアリブのだしとかうまみとかを吸った冬瓜も、透きとおったスープも、身体の芯に火をつけそうに熱くておいしい。ここにクコの実でも入れれば立派な薬膳スープになるだろうな。シンプルすぎるほど少ない材料でできた料理を骨を掴みながら食べる、という飾り気のない行為に、今はすごく救われる。

そのうち、胃がちぎれそうになる日もくるんだろうけど。ちぎれたらどうにかすればいい。今まで一度もちぎれたことないし。明日は最後の一杯をスープジャーに詰めて会社に行く。一番大きくてほろほろに煮えたスペアリブの塊を、金曜の自分のために残してある。

青磁を塗る夜

このところ、よく身体を動かすようになった。気軽に外に出て川沿いを何周も歩いたり、自転車で日が暮れるまでそこらを走りまわったりがなかなかできない雨季は、身体が錆びつくみたいでどうしたってしんどい。動画を調べて、背筋・腕・下腹・脚に効くストレッチを黙々とやりはじめてしばらく経つ。みしみしと引き攣るように痛む筋肉痛がわりと好きだ。

自分の身体をちゃんと扱う、ということに人間28年目にしてようやく興味が湧いたような気がしている。常温の水をたくさん飲むとか、おなかと腰をあたためるとか、そういうの。至極いまさらながら。何徹もした身体でロケ現場を日夜駆けまわっていた前職時代のツケを、いま少しずつ支払っているなと思うことが増えた。寝ないといけないし、身体の内側はあたためておくに越したことはない。

そうなると向き合わざるを得ないのが、食べること。最近料理をものすごくサボっている自覚がある。明確にいうとサボってはいないけど、きわめて手抜き。同じものを食べても飽きないのをいいことに、サバのトマトスープと卵と納豆にすべてを託しすぎている。あんまり季節のものを食べていない。にんにくと梅干しと大葉をいれた炊き込みごはんが食べたいな。あと豚肉と冬瓜の塩味のスープとか。

色のない三連休が終わる。病院に行くために金曜に有給をとったものの、いまいち休息がうまくない。ベッドに入る前に爪を塗った。曇りの日の海みたいな青磁色のポリッシュに、指何本かだけ、先日友人にもらったゴールドのラメを重ねる。ラメの粒子がとてもきめ細かくて、刷毛をすべらせたところからビロードみたいに質感を変えるのは見ていて気持ちがいい。すごく明るくなくていいから、穏やかな週であってほしい。

コックピットに佇む夜

台所に華奢な椅子を置いた。座面と背もたれがネイビー色で、うちのファブリック類や赤い冷蔵庫によく合う、脚の高い折り畳み椅子。細身で邪魔にならないので、畳まず食器棚のそばに席を設けてある。

私は台所にいる時間が長い。料理の手を動かしている時間とは別で、ただそこに「いる」時間。まないたやシンクを漂白する5分間、パスタを茹でる7分間、ゆで卵を半熟にする7分40秒間、スープやカレーをひと煮立ちさせる15分間、煮物を弱火で煮込む20分間。1Kの広くもない家のなかをうろうろするのも億劫なので、そういうときはたいてい台所に留まって読み慣れた文庫本を捲る。

高いところのものを取るための踏み台を椅子がわりにして鍋の前に佇むと、ちょうど目の高さで弱火がゆらゆらと青く揺れるのが好きだ。鍋の中身がどうなっているかは見えないから、吹きこぼれたりしないように耳を澄ませる必要がある。コンロ上のオレンジの灯りをつけて、鍋のなかの水音や漂う匂いに神経を研ぎ澄ませながら紙を捲る、短くも長くもない時間。こういうときの本はあくまでおまけだから、実際のところそこまで真剣に読んではいない。だからといって薄暗い台所でブルーライトを浴びる気にもならず、どこからでも読める馴染みの短編集なんかを選ぶことが多い。深夜にふと思い立っていきなりスープを作り出す癖は、この時間を過ごしたいがためのものでもある。

といっても、そのたびに踏み台を毎度出したりしまったりするのもふつうに面倒だなと思うに至り、ようやく椅子を買った。腰掛けてみると、これまでよりもうんと視界が高い。鍋の中身も見える。家のなかの導線はほぼ完成しきったと思っていたけど、こういう細かなアップデートが加わると少し嬉しい。

この家で過ごす3度目の夏、兼、きっとまたずうっと家にいなくてはならない2度目の夏が来る。今日は珍しく晴れた。朝早くからたくさん洗濯をして、汗だくになって熱いシャワーを浴びる。ベランダ沿いのベッドに仰向けになって洗濯物越しの青空を眺める時間がしみじみ好きだけど、窓越しにそうしていたって、このところの軽いような重いような気持ちはどうにもならない。

日が暮れてから、いっとき雷をともなう大雨が降った。土と植物の青みが混ざった夕立の匂いが部屋に流れ込んできて、水の気配に少し安心する。近くに大きな川があるからか、この街は水の匂いをとても濃く感じる。

雨が降り込まないよう窓を少し開けたまま、鍋にお湯を沸かして卵を4つ茹でた。立っているととても長く感じる7分40秒間も、椅子に腰掛けていたらすぐだった。殻をむいたところに少しだけマヨネーズを絞って、台所のオレンジ灯の下で熱々をひとつ頬張る。おいしいとか言うこともなく無言で食べて、残りを醤油やみりんで味玉にして冷蔵庫にしまう。深夜にこういう脈絡のないことをするとき、座る場所があるのはすごくありがたい。昔はよく、仕事がつらいときにシンクに立って泣きながら桃を食べたりしていたから。椅子があるぶん、居場所が増えた気がした。大好きな女優さんがいつかテレビで、憩いの場である台所のことをコックピットと称していたことを思い出す。席があれば、どこへでもいけるね。

雨音のしない夜

仕事だけの人間がいかにつまらないかを知っている。そしてそういう人間は、得てしてそこまで仕事ができないことも知っている。そうはなりたくないから、人と過ごしたり、義務に駆られてではなく楽しんで料理や掃除をしたり、花を飾ったり植木に水をやったりして暮らしているけど、疲れたなと思うときが増えた。そりゃそうだ。コンビニで買った昼食を仕事をしながら夕方に食べているのに、毎日欠かさず6鉢の観葉植物を慈しめるわけがないし、毎朝雨のなか出勤するために化粧をして癖毛にアイロンをあてる時間は、在宅勤務の人たちへのいわれのない妬みで満ちている。ついでに、この疲れと今後もそれなりに付き合っていかないといけないことも知っている。

あんまりにくさくさする一週間を過ごしてしまった。極めつけに、月末のご褒美として同僚と企てていた鰻を食べに行く約束が、色んなことが重なって叶わなかった。それだけ?みたいなことで人っていうのは簡単に折れる。だからとにかく特効薬がほしくて髪を切った。それと新しい靴下に、ボーダー模様の夏用スリッパ、大好物のタピオカココナッツミルク(モチモチしたのをストローで吸うあれではなく昔ながらの)、きちんと料理しないと食べられないたくさんの食材。仕事で乱れた機嫌くらいなら、ユニクロとスーパーに行けば一旦ごまかせる。白い自転車に乗って、ひさびさに雨の降らなかった街を奔走した。

最後にいつもの花屋に寄ってひまわりとかの切り花を買おうかと思ったものの、どれもきれいで華やかすぎてなんだか目が疲れる。それに、何日か経てば萎れてしまう。花屋でそんなことを思うのは初めてだった。かわりに、ジャングルみたいに植物ばっかり売っている馴染みのリサイクルショップに立ち寄って、なにかの苗を買おうと思い立った。思い立ったままの勢いでハイビスカスの鉢植えを買い求めた。去年の今頃この店で買った小さなオリーブの苗は、私の背をとうに越してベランダの主人になっている。それくらい暮らしにしっかり侵食してくれるものが欲しかったのかもしれない。

単純なもので、買ったばかりの夏用スリッパを履いて茄子とにんにく入りの豚バラキムチを作って、お風呂上がりのビールを飲みながら食べたら、なにもかもを睨みつけたくなるくらい荒んでいた内心はひとまず凪いだ。切ったばかりの髪も軽い。奥底に燻っているものを見ないふりできるくらいには満ちた。次の週末になったらまたなにもかもが嫌になっているだろうけど、来週の私がまたどうにかして機嫌をとると思う。ハイビスカスの苗がすぐに赤い花を咲かせて、そのかわりをしてくれたらいいのに。葉に、霧吹きで丁寧に水をやった。

遠雷の夜

毎日たくさん水を飲もう、と今朝急に思い立った。思い立ったまま2リットルペットボトルの水を買って、袋に入れてもらうのも億劫だったのでそのまま腕に抱っこして出社したら、並びの席の同僚ふたりがほぼ同じことをしていて笑ってしまった。昨日越してきた新しいオフィスは、思ったとおり陽あたりがいい。ブラインドの隙間をひらくと午前中の強い陽射しがどんどん入ってきて、みっつも並んだミネラルウォーターの大きなペットボトルをキラキラと透かす。

無糖のアイスコーヒーを好きなだけ飲める本社を離れてしまったので、これを機にカフェインを控えようと試みている。デスクで毎日使っている大きなマグカップにミネラルウォーターをなみなみ注いで、仕事中や食事の折に意識してたくさん飲んでいたら、帰る頃にはペットボトルが空になった。些細な達成感を得られるものが日常のなかに増えると嬉しくなる。

久々に調子がよかったので音楽を聴きながら機嫌よく自分の仕事をしていたら、ふと上司に呼び出された。スタバの甘いなにかを優しく買い与えられて、雨の匂いのする中庭でなかなかにとんでもない内示を受ける。腹を、そうとうな覚悟をもって括らないといけない。どっしり構えなさいよと言われた気がした。年齢とか経験とかのどう足掻いたってすぐ手に入らない色々を、なにを使って補えばいいんだろう。

遅くまでやっていた馴染みの焼き鳥屋で、ももとつくねとぼんじりを買って帰った。小雨の降るなかで傘を差して、ぼうっと裸電球や炭火や七夕飾りを眺めながら焼きあがりを待つ。たれを焦がした香ばしい煙のにおいが雨に混ざって、甘くけぶった湿気を嗅いでいるとなんだか無性に眠たくなった。熱い包みを手に提げて帰ったそれと、トマトスープの残り、昨夜買った味の濃いプラムをふたつ食べた。

遠くに雷が聞こえる。明日もミネラルウォーターを抱えていって、お気に入りのあんぱんを朝食に食べて、つとめていつもどおりに振る舞う。内示を受けたあと恒例の、誰にも何も言えないじりじりとした孤独と明日から付き合っていかなければならない。

赤いスープの夜

夏が近いらしい。ここしばらくずっと、身体の不調をどうにか受け入れようと悪戦苦闘しているうちに、いつの間にか上着なしでも出かけられる季節になっていた。雨が降るから大好きな煉瓦色の革靴を履けないし、湿気で髪がかたくなに跳ねる。繰り返し丁寧に手洗いしているお気に入りの布マスクがもう暑くてつけられない。毎年、雨季から夏にかけてをどうやってやりすごしていたのかをきっちり忘れてしまう。去年の今頃買ったときはせいぜい60cmくらいしかなかったオリーブの苗木が、育ちに育って自分の背丈を超えていたことにすらつい先日気づいた。

出勤しているいくつかの部署だけが、秋までの臨時で違うオフィスに引越すことになった。機材とかマグカップとかデスクに飾っていた食玩とかの色んなものを段ボールに詰めて、課の席順を考えて荷造りや荷解きの指揮をとって、そんなようなことで汗をかいていたら少し元気が出た。大きな窓を背にした新しい席。たぶん、晴れたら陽が射してうんと暑い。

帰ったら家にはトマトスープの鍋がある。昨夜0時過ぎ、電気を消して眠る努力を始めた頃に急に思い立って、15分ほどで唐突に作った。以前からずっと「真夜中に突然スープを作りたくなる」という欲に勝つことができない。とにかく無心で野菜を刻みたくなる。たまねぎとズッキーニとマッシュルームを黙々と角切りにするだけでかなり心が静まる。おろしにんにくを弱火にかけたオリーブオイルに馴染ませて、野菜を全部入れて玉ねぎが透きとおるまで炒めて、トマト缶とサバ缶を入れて適当に調味すると、空の鍋が何食分かのスープの入った鍋に変わる。眠る前に具をよけたスープだけをコップに注いで暗い台所で啜った。火みたいに濃くて熱いトマトスープは、ざわざわと落ち着かない雨季の身体に驚くほどよく沁みる。

夜気の匂いが変わったなと日に日に思う。駅から家までの真っ暗な住宅街が、肺までじくじく濡らすようなクチナシの重たい甘い匂いでいっぱいになる季節。家に着いたらシャワーを浴びて、トマトスープを温めて、ついさっき閉まりかけのスーパーで買ったプラムと食べる。